50才独身無職のフラフラ日記

50才独身女性の毎日のつぶやき

本当にしたいことって、どうしたらわかるんだろうね。

ワクワクを追求せよという言葉の誘惑


私は2〜3年前からブログ発信とかを唐突にやり出した。
未知の世界で楽しくて、新しいコミュニティで人と触れることが新鮮だった。
1年前からちょっとマニアックな食と農を実践するコミュニティに参加した。
価値観が似てる集まりで楽しくて、新しい自分を発見できるようでワクワクした。


〜ワクワクすることを追求するのがいいこと。
〜好きなことをして生きて行く
そんな言葉がトレンドだった。


今、冷静に振り返って見て、自分の気持ちを正直に見つめてみて、
どう思う?
本当にやりたいことだった?
そんな問いが頭をよぎるようになった。


出だしは調子がよくて、人の反応も楽しくて滑り出したのに、
すぐにそれは行き詰って来た。
内容を探求しようというよりも「どうやって人前にさらすか」ばかり考えるようになり、
とてもつまらないものになってしまっていた。
計画するのも動くのも億劫な日が続いた。
義務感のような。


結局行き詰まるということは本質でないことだからだ。
「何か」を発信したいのではなくて「発信」だけをしたかっただけだった。
「何か」を探しているのではなくて「発信できる何か」を求めていただけだった。


だけども
始めた当初は自分でそう思ってやってなかった。
本当にワクワクを感じた。
こんな気持ちは初めてと興奮を感じていた。
生きる希望さえ湧いた。


ほんの少しだけ存在する違和感に気づかないふりをしていた。
「これでもっと幸せになれるはず」
そういう欲は容易に違和感に関して目を瞑らせた。


幸せになりたい、誰かのように


何十年も抑圧して生きていた私には正直に言って、やりたいことをするということがどういうことかが全くわからなかった。
自分の感情に蓋をして、底に沈める強固な癖がついていたから。


幸せなんて人と比べてどうかとか、誰かのやってることの模倣しか知らなかった。
そんな経緯で初心者なのだから、丁寧にコツコツとやっていけばよかったのに、いきなりスゴイ人や注目される人を目指してしまった。


本当の欲求は「自分だけの人とは違う感性を、人前にさらして承認を得たい」というものだった。
人とは違う自分だけの感性を褒めてもらえることがしたかった。


なぜなら
本当は人と違う突出した感性は持ち合わせていない平凡な自分を否定したかったから。
自分とは違う誰かになりたかった。
感じたワクワクは結局、本当の自分を否定できる大義名分ができたという開放感だったのかもしれない。


で、どうする?


なんで、どうしてこんなに自己否定が好きなのか?
考えてみたことある?


『こんな私でなければ、もっと愛されたのに。』


出てきたのはこんな言葉だった。
そんなブロックは散々外しまくって、インナーチャイルドをたくさん癒してきたのに
まだそこに『私』は居た。
涙が溢れたその瞬間、内なる自分からの声がはっきりと聞こえた。


もう別の誰かになるのは、嫌だ。
もういい加減、私を許して。
もういい加減、私をちゃんと見て。
私をちゃんと愛して。
私はここに居る。
ここに居るから。
あの世界から手を繋いできたのは私とあなた。


これ以上否定して得られるメリットはただ一つ、
そこから歩き出さなくて済むということだけだ。


だけど、今の私はもう知っている。
そんな自分の感情があることも受けとめて、
こんな自分でもどんな自分でも愛されていることを、
ただ存在してるだけでいいんだということを知るためのプロセスだったと。


月星座の照らすものは?


話は変わって、月星座というのがあるのをご存知?
生まれた瞬間の月がどの星座に位置しているかによって、その人の持つ欠損を現している。
欠損だから、致命的にないギフトを現すということ。
私のホロスコープでは月は水瓶座、独自のアイデアを発信する天才の星。
月の支配する年代は幼少期だから、周りがびっくりするようなことで関心を引くことに幼い私は光を見出したのかもしれない。
この月星座の話を知って、なんだかよくわからなかった自分が少し理解できるような気がした。


「欠けている」のに「持っている」なんて、とても不可思議だけれども。
この何年かで発信する喜びも周囲の反応を見るドキドキも、そして限界も知った。
そして螺旋を描くように今ここに到達した。
やったからこそ納得出来た。
ないものを追いかけていたら、もう一度自分に還る道しるべだったことに気づく。
結局はそういうことなんだろう。


そして月は通過点に過ぎないから、目指すべき太陽宮へと歩みを進める。
本当の自分は、そこに居る。
誰かのようになりたい自分ではなくて、自分が自分のままで本物になっていくこと。


実はもう探さなくてもいいのかもしれない。
本当はもう既に、ここに居る。
人の目ばっかり気にしてたから、見えないだけだった。


影によっては「見えない部分」が「ある」のが月だ。
自分からみて影になる部分も、確かに自分自身なのだ。






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